top of page
「大きな喜びの知らせ」
2025年12月21日礼拝メッセージ ルカの福音書 2 :1-21 山本 進 牧師 キリスト教信仰は事実に依拠した信仰です。たとえば一世紀のある日、イエスは十字架刑に処せられて死んだのは事実です。私たちは事実を信じるとは言いません。ところがイエスの死は「私たちの身代わりとなる贖いの死です。」と受けとめたら、これは信仰で、信じる事柄です。 住民登録がありました。本籍地登録でヨセフとマリアはベツレヘムに向かいました。出産予定はまだ先だったでしょうが、イエス様はお生まれになりました。夜、野宿ができる頃でした。 御使いが野宿の羊飼いに会い、大きな喜びとして、罪の赦しという救いの救い主キリストの誕生とその確認のためのしるしを伝えます。そして喜びの賛美がありました。 私たちが見習うのは羊飼いの行動です。彼らは御使いの知らせを好意的に受け止め、それを確認するという思いで一致し、幼子を捜し、知らせのとおりであることを知り、自分たちの事実としました。 私たちも聖書を読み、受け止め、果たしてその通りかと確認して、その通りであったとき、それは個人的な神の導
「神の導き」
2025年12月14日礼拝メッセージ マタイの福音書 1 :18-25 山本 進 牧師 私たちの人生にたいへんなことが起きる。そのとき、どのように振る舞えばよいだろうか。ヨセフにならう。 まず、信仰者として振る舞うことを前提とする。すると、ヨセフは律法を守るということとマリアを守るという相反する事柄に出会った。このとき、彼なりに考えて結論を出した。それが神のご計画かどうか。ご計画でないときは神が介入してくださる。ヨセフの場合、夢に主の御使いが現れ、御心を伝えた。それはヨセフの考えの方向とは違っていた。ヨセフの場合、彼は受け入れ、従い、お委ねした。 私たちが問題に巻き込まれたとき、信仰者として、事態を見つめ冷静に考える。何が問題となるだろうか。信頼できる人に相談するなり、最終的に自分なりの結論を出す。それが主の御心だろうか。信仰的に考えてもよいし、普通に考えてもよい。 主のご計画の内に私たちの考えがあるなら、主はそのように導いてくださる。 ご計画とずれているなら神は介入してご計画を現してくださる。このときは、自分の考えから離れていくので
「神のあわれみ」
2025年12月7日礼拝メッセージ ルカの福音書 1 :5-25 山本 進 牧師 祭司ザカリヤに起こったことを考え、私たちに当てはめてみます。信仰者がみことばを受け入れられないときどうするか。 信じてくれている人に主はあわれんでくださることを受け留める。それが罰を受けたように思えても、何事もなかったかのように、現状を回復し、祝福を与えてくださると信じる。 主がそのようになさるのだから、何も心配せずになされるがままに現状を受け入れて毎日を過ごすのが良いと思う。 一方、それでも、罰と思える損や災難を逃れようとするなら、語られる事柄・出くわした状況を肯定できないながらも、否定はしないことである。 そして、それが人からの話の時、信じられない・受け入れられないと思う事柄が実現していく過程を話してもらい、自分が確認できることを知るために会話を先に進めたら良い。自分で結論を決めつけるのではなく、実現可能と思われる事柄がないか、冷静になって判断することである。しるしの一つ一つを確認できるならゴールにたどり着ける。 罰を受けても元に戻るなら、それはあ
bottom of page

