「聖なるものとされる」
- 3月16日
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2026年3月8日礼拝メッセージ
ヘブル人への手紙 10:1-10
山本 進 牧師
1.v1完璧を求めた著者 実用主義であれば神に近づく人々をまあまあにできる。それでよいかも知れませんが、著者は完璧を求めています。
2.v2~4影が完全ではない証 モーセの時代から続いている律法によるきよめは不完全であった。一度できよめられれば、もはや罪を意識することがないはず。でもそうでなかった。影では罪を取り除くことができないのでした。
3.v5~10新しい契約、キリストの方法
(1)神の備えと心情 v5「わたしに、からだを備えてくださる」著者は9:23「それ以上にすぐれたいけにえ」のことを語っています。雄牛や雄やぎに変わってキリストがいけにえになる。そのためのからだ。それは死なれて血を流すためのからだでした。
v6神はいけにえを喜んでいなかった 地上のきよめのささげ物は不完全のため、喜ばれていなかった。
(2)v7~9キリストの申し出 神が求めた完全ないけにえ。そのいけにえになる方の申し出がある。「今わたしはここに来ております。神よ。あなたのみこころを行なうために。」キリストはみことばで神の思いを代弁し、みこころを成し遂げることを申し出る。それは完全なものを提供するためです。
(3)新しい契約の実行で私たちが聖なるものとされる
v10以上のみこころ、キリストの申し出によってなされた十字架の贖いのみわざ。イエス・キリストのからだがただ一度だけ(v2の成就)献げられたことにより、私たちは聖なるものとされるのです。
キリストの死によって罪が取り除かれることで、罪の赦しが完成し、罪のきよめが完成し、信じる人の救いが完成したのです。
信じる私たちは聖なるものですから、安心してこの世の人生を乗り切りましょう。
【本日の聖句】『このみこころにしたがって、イエス・キリストのからだが、ただ一度だけ献げられたことにより、私たちは聖なるものとされています。』
(聖書 新改訳2017 ヘブル人への手紙 10:10)


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