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「ユダヤ人の王として生まれる」
2025年12月28日礼拝メッセージ マタイの福音書 2 :1-23 山本 進 牧師 キリスト教信仰は事実に依拠した信仰です。たとえば一世紀のある日、イエスは十字架刑に処せられて死んだのは事実です。私たちは事実を信じるとは言いません。ところがイエスの死は「私たちの身代わりとなる贖いの死です。」と受けとめたら、これは信仰で、信じる事柄です。 住民登録がありました。本籍地登録でヨセフとマリアはベツレヘムに向かいました。出産予定はまだ先だったでしょうが、イエス様はお生まれになりました。夜、野宿ができる頃でした。 御使いが野宿の羊飼いに会い、大きな喜びとして、罪の赦しという救いの救い主キリストの誕生とその確認のためのしるしを伝えます。そして喜びの賛美がありました。 私たちが見習うのは羊飼いの行動です。彼らは御使いの知らせを好意的に受け止め、それを確認するという思いで一致し、幼子を捜し、知らせのとおりであることを知り、自分たちの事実としました。 私たちも聖書を読み、受け止め、果たしてその通りかと確認して、その通りであったとき、それは個人的な神


「求め続ける祈り」
B i b l e S t o r y 2025年10月12日 ・・・ マタイの福音書 7:7-11 暗唱聖句 マタイの福音書 7:7 『 求めなさい。そうすれば与えられます。 』 主イエスは「求めなさい」「探しなさい」「たたきなさい」と言って、諦めないで祈り続けることを教えられました。ただし、どんなことでも祈り続ければ実現すると言っているのではありません。大切なのは何を求めるのかを理解することです。求めるべきものは「神の国と神の義」です。神がほめたたえられ、神に喜ばれる歩みをすることができるように、大胆に、貪欲に神に祈り求めていいとイエスは言われるのです。 私たちが神のみこころにかなった歩みをするためには、まず神のみこころを知る必要があります。私たちが日常で経験すること、人間関係や学校の子と、家族のことでどうしたらいいかと悩む時、神が何を願っておられるかを具体的に知ることは簡単ではありません。だからこそ、、「求め続ける」ことをイエスは励ましておられます。神に信頼して正直な気持ちを祈り続ける時、祈りの中で、自分の願望を超えて、神が願ってお


「主の祈り」
B i b l e S t o r y 2025年10月5日 ・・・ マタイの福音書 6:5-15 暗唱聖句 マタイの福音書 6:9 『 天にいます私たちの父よ。御名が聖なるものとされますように。 』 イエスは祈りについて教える時に、まず祈る時の注意を示されました。一つは人の目を気にして祈ってはいけないということです。祈る自分を信仰深いと考えて、その姿を自慢するかのように祈ることを戒めています。祈りながらも。その心が神ではなく人に向かうと、神に祈る喜びは失われてしまうのです。また、ことば数が多ければ祈りはかなうと考えてはいけないと注意なさいました。このような考えは今もありますが、これでは神に心を向ける祈りではなく、たくさん祈る努力に心が向かう祈りになってしまいます。 祈りとは、神だけに心を向け、神と過ごす時間です。そのようにして祈る時には、神が私を愛してくださっていて、私が願いを言う前からすべての必要をご存じであるという神とのつながりのゆえに安心があります。 それからイエスは「あなたがたはこう祈りなさい」と言って、私たちが今「主の祈り」
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