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「確信のため、しるしを求める(心弱かったギデオン)」
2026年10月4日礼拝メッセージ ヘブル人への手紙 11:32-34 山本 進 牧師 序.士師記の不思議 神の導きで出エジプトし、約束の地に入ったが、その行き先が主の前に罪を犯すことだった。これは何を意味するか。アダムとエバが罪を犯して神から離れた。たった一つの小さな罪がもたらす罪の全容を聖書は表していて、士師記の時代に、主の約束が実現した後に、露わになる民の罪の姿を描いているのではないか。 士師記では、罪を犯しているのはイスラエルの民なのに、描かれているのは士師として立てられた人の信仰の姿である。 1.ギデオンは確認する(6,7章) (1)目の前の人が信頼できるか。 その人は主の使いであるか確認する。羊の肉料理と種なしパンを、その方は燃やされ全焼のいけにえとされたので、ギデオンは主の使いと確信し、士師として立ち、祭壇を壊しアシェラ像を切り倒した。 (2)主のことばの確かさを確認する。 一匹の羊の毛には露が降り、周りは乾ように。次はその逆、羊の毛が乾いていて、周りには露が降りるように、との要求に主はそうされ、彼は確信した。そして、主
「おことばに条件をつける(先頭に立たないバラク)」
2026年9月27日礼拝メッセージ ヘブル人への手紙 11:32-34 山本 進 牧師 バラクは、人間力はあった。戦いを指揮する力はあった。しかし、信仰が弱かったのではないか。彼は信仰のよりどころをデボラに求め、同行を条件にし、信仰の不足を補った。 ヤエルは、あのラハブのようにヤエルは信仰の判断をしたのだろうか。カナンの王ヤビンとケニ人へベルの家は友好関係があったのに、妻のヤエルはイスラエルのほうを選択して、シセラを討ち取った。このあとバラクは王ヤビンを滅ぼし、ヤエルのあとくされはなくなった。こうしてイスラエルは40年間穏やかであった。 考察)皆さんはどう思うだろうか。旧約聖書では主のことばに従い、行った人は祝福された。私たちはそう受け取っている。しかし、それはある種、御利益宗教ではないか、と思う。 一方、バラクは主のことばに条件をつけて従い、御心を行った。100点満点中99点だった。しかし、条件をつけたため、主の誉れは最後のとどめをさした女性ヤエルに与えられた。ところで、バラクは誉れなしを分かって主のみことばに従い、勝利を得たのではない
「約束の地に入る(課題を乗り越えて)」
2026年9月20日礼拝メッセージ ヘブル人への手紙 11:30-31 山本 進 牧師 序 私たちの毎日には乗り越えたい課題があります。二段階の神の奇跡があるという前提を考えます。全面的な神の奇跡。もう一つは人間の働きとともにある神の奇跡です。 1.出エジプト(出エジプト7~17章)では、民はファラオに対して何もできませんでした。ただ、神の奇跡によって道が開かれたのです。神はファラオに出て行けと言わせ、水を分けて民は紅海を渡ることができ、与えられたマナとうずら、岩の水で生きました。 2.約束の地に入る(ヨシュア2~6章)とき、神は働き、ヨルダン川を渡らせました。エリコの町で民のすべきことがありました。偵察です。どんな町か。そこに住む人々はどのような様子か。彼らの弱点は何か。それらを現地に行き,観察することです。 そのとき、身の安全はどうしても守られなければなりません。主は遊女ラハブを用意し、彼女にイスラエルが勝つという確信を与え、彼女に偵察隊を匿わせました。その中で、彼らは誠意を示し合いました。偵察隊に身の安全が与えられ、戦いの時、ラハブ、家族
「神の御心が実現する(出エジプト物語)」
2026年9月13日礼拝メッセージ ヘブル人への手紙 11:27-29 山本 進 牧師 序 神がアブラハムに語った約束が400年ほど経った今実現しようとする。ファラオが「出て行け」と命令することが、もっとも現実的。 1.v28過越の食事とそれに続くわざ(1)最後通牒 出エジプト記11:4 『真夜中ごろ・・・11:5 エジプトの地の長子は、・・・みな死ぬ。』ついにファラオが「出て行け」と命令した。 (2)出エジプト記による救いは、罪に対する償いではなく、罪に対する罰が与えたしるしのゆえに過ぎ越されることです。 私たちに与えられたしるしは過越的にイエスを信じる信仰です。 (3)信仰によって、モーセは神のことばに立ちます。 2.v29紅海を渡る (1)人々の批難 批難の中、モーセは海に向かって祈り、主は海の水を分けて乾いた地を出現させました。 (2)信仰によって、人々は目の前の道を信じて歩きました。 (3)パウロの引継ぎ 洗礼と聖餐式Ⅰコリント10:1~4。 3.まとめ (1)神の御心の実現 一世代の中で終わることではなく、何世代に渡っていく神の
「神が働かれる(とはどういうことか)」
2026年9月6日礼拝メッセージ ヘブル人への手紙 11:27-29 山本 進 牧師 「神が働かれる(とはどういうことか)」。 それは、始めに預言、すなわちことば(発言)があって、その後にその預言が(神がかり、不思議で)実現することで、神が働かれたと受けとめる(イエスのことば、ヨハネ13:39、14:11)。 v27 「信仰によって、彼は王の憤りを恐れることなくエジプトを立ち去りました。目に見えない方を見ているようにして、忍び通したのです。」をファラオに対する十の不思議(出エジプト7~10章)に対応と考えて見る。 はじめは出エジプトの要求ではなかった。三日の道のりを離れての、主を礼拝することだった。それを拒絶するファラオと、それでも忍耐してファラオに向き合うモーセがあった。神はファラオに神を恐れることを伝える神の十の不思議を行う。 頑なさに見るファラオのプライドと立ち位置。自らが太陽神の子、ファラオにとっては自らが神。簡単に奴隷の民の要求を呑めるか。 v27 モーセの信仰 彼は、目に見えない方を見ているようにして、(ファラオの憤り
「人の摂理・神の奇蹟」
2026年8月30日礼拝メッセージ エステル記 4:1-17 辻村 潤治 牧師 旧約聖書と新約聖書の中間にあたる時代を、私は南北王国が滅ぼされ、一方は神殿、エルサレム城壁再建に向かった人々、代表として、エズラ記・ネヘミヤ記に書かれている人々と、もう一方は、エステル記に書かれている人々の間で特に信じられた、神のことばを大切に守った人々の、二つの生き方に分けられるのではないかと考えました。神聖な、神殿構造物を再建して、自分の信仰を確信してゆこうとの考え。もう一方は、神のことばを信じ、目には見えないが、そのことばの中身を確信し、信じ従って行こうとの二つの方向性があったように思います。 その集大成が、神の子イエス様による信仰義認への道となったと思うのです。 もう一つの結論は、「あなたがこの王国に来たのはこの時のためかもしれない。」とエステルに語ったモルデカイの言葉にあると思います。このことばは私たちにも語られたことばではないでしょうか。モルデカイは何時かは分からないが、神の時に貴方も私も、この場に遣わされていると言ったのです。そして、エステルはそ
「私たちは確かに救われるのか(守られ救われるモーセ)」
2026年8月23日礼拝メッセージ ヘブル人への手紙 11:23-27 出エジプト記2章、3章参照 山本 進 牧師 1.王の法、権力から守られる(神とどう向き合うか、その接点。) 良心内感情、両親のかわいいという感情。信仰、王を恐れない、神を恐れる両親の信仰。お委ね、主がこれをどう取り扱われるかと、姉は信仰で待つ。良心内感情、王女のかわいそうという感情。その結果、なんとお金をもらいながら母親と暮らせるモーセ。 2.モーセの歩み(同胞に対する思い込み。エジプトから離れる) 大きくなって王女のもとで暮らす(王家の守りの中にある。ピラミッドを建てるほどの最高の学問を学んだことだろう) 転機。モーセは成人して自分がイスラエル人であり、同胞を顧みる。エジプト人と同胞の争い。同胞同士の争い。ここで同胞に受け入れられていないことを知る。同胞からの支持とは思い込み。 エジプトから離れる。図らずもそれは出エジプトのための地形、道のりの事前体験となる。彼はミディアンの祭司とともに過ごす。 3.自己の罪からの救い、異教からの解き放ち 燃える柴で主に会う。罪
「歴史の中の神の奇蹟」
2026年8月16日礼拝メッセージ エステル記 1:1-22 辻村 潤治 牧師 残された民にとって、混乱した時代に頼るべき方は、神の教えとそのみことばしかなかったのです。 「(ペルシア)王国のすべての州にいる諸民族の間に、散らされて離れ離れになっている一つの民族があります。彼らの法令はどの民族のものとも違っていて、王の法令を守っていません。彼らをそのままにさせておくことは、王のためになりません。」(エステル3:8)と言われ、彼らは離れ離れにされ、神殿もない。もちろん周りは偶像ばかり、異邦人ばかり。その中にあって一つの民族として一致するのは、神のことばしか、なかったのではないでしょうか。 この混乱の時代にこそ、12部族の中の心ある者たちはこれに集中したのでしょう。それを支えたのがエルサレムの神殿再建を志した者たちと、移された場所に残り、主のことばを守った、モルデカイ、エステルたちではなかったのでしょうか。 今の日本の中で、私たちは多く見ても1.4%と言われています。私たちは争うわけでもなく、戦うわけでもなく、誠実に生きてゆく民として、神のことば
「ヨセフの遺骸の指示」
2026年8月9日礼拝メッセージ ヘブル人への手紙 11:20-22 山本 進 牧師 序 11:1信仰は望んでいることの保証であり、目に見えないもの(将来)を確信させるもの。 ヘブル11:22 信仰によって、ヨセフは臨終のときに、イスラエルの子らの脱出について語り、自分の遺骸について指示を与えました。 1. (創世記48章)ヤコブ、ヨセフにカナンの地シェケムを与える ヨセフの最期については、ヤコブはこう申します。48:22 「私は、兄弟たちではなくおまえに、私が剣と弓でアモリ人の手から取った、あのシェケムを与えよう。」 2.(創世記50章)ヨセフの最期 24 ヨセフは兄弟たちに言った。「私は間もなく死にます。しかし、神は必ずあなたがたを顧みて、あなたがたをこの地から、アブラハム、イサク、ヤコブに誓われた地へ上らせてくださいます。」25 ヨセフはイスラエルの子らに誓わせて、「神は必ずあなたがたを顧みてくださいます。そのとき、あなたがたは私の遺骸をここから携え上ってください」と言った。 3.(創世記15章)ヨセフが受け継いだことば 15:14
「ヨセフの息子への祝福」
2026年8月2日礼拝メッセージ ヘブル人への手紙 11:20-22 山本 進 牧師 序 11:1信仰は望んでいることの保証であり、目に見えないもの(将来)を確信させるもの。アベルとエノクは神とともに生きることを望み、ノアは将来のあり方(主の滅びの警告)に従い、アブラハムは将来、彼の子孫の祝福で、主を信じ、彼の弟息子イサクが約束の相続人となりました。イサクでは、ヤコブが兄をおしのけ相続人となりました。 ヤコブ自身は相続人を愛する妻ラケルの子ヨセフと決めていたようです。今日の聖書の場面は、ヤコブが最期になってヨセフの子、自分の孫のマナセとエフライムを祝福する場面です。ヤコブは彼らを養子とし、自分の子とし、兄が弟に仕えるべく、先にエフライムに祝福をしました。 本論(創世記48章) 1.ヤコブ、ヨセフに言う。「5おまえの二人の子は、今、私の子とする。」10彼は彼らに口づけして抱き寄せた。13・・・ヨセフは、エフライムをイスラエルの左手側に、マナセをイスラエルの右手側に引き寄せた。14 ところがイスラエルは、右手を伸ばして弟であるエフライムの頭に置き
「ハバククの祈り」
2026年7月26日礼拝メッセージ ハバクク書 1:1-17 辻村 潤治 牧師 神への畏れを知ることは、知識のはじめなのです。ハバククはこの災害の預言から、神がおられ、最後には、正しく神の裁きがカルデア人にも、ユダの悪人たちにも、その人にふさわしく、下るとの確信を、神の霊によって知って、しかも、「正しい人はその信仰によって生きる。」ことを知らされ、平安となったのでは、と私は思うのです。 【本日の聖句】『この幻は、定めの時について証言し、終わりについて告げ、偽ってはいない。もし遅くなっても、それを待て。必ず来る。遅れることはない。』 (聖書 新改訳2017 ハバクク書 2:3)
「将来を思って現在を生きる」
2026年7月19日礼拝メッセージ ヘブル人への手紙 11:20-22 山本 進 牧師 11:20 信仰によって、イサクはやがて起こることについて、ヤコブとエサウを祝福しました。 創世記27章。話のきっかけ。イサクは自分の死期を感じ、愛している双子の長男エサウを祝福しようとしました。それを知った妻のリベカは自分の愛するもう一人の息子ヤコブに、お父さんをだましてでも祝福を受けることを強く勧めました。目の悪いイサクはだまされ、ヤコブを祝福しました。「・・・おまえは兄弟たちの主となり、おまえの母の子がおまえを伏し拝むように。」(創世記27:29) 狩りから帰ったエサウがおいしい料理を作り、イサクのところに持って来たとき、イサクはだまされたことを知った。「お父さん、祝福はもうないのですか」しかし、のろいのことばしかなかった。 「おまえは自分の剣によって生き、自分の弟に仕えることになる。」(創世記27:40) 検討事項 そもそも、リベカ・ヤコブのだまし討ちは認められるのでしょうか。ハッキリ分かりませんが、当時認められたとしても、今日、私たちはこの
「死者の中から取り戻す」
2026年7月12日礼拝メッセージ ヘブル人への手紙 11:17-19 山本 進 牧師 1.神はアブラハムにイサクを献げるよう、試練を与えた。 2.ここでの試練とは(Aから受けるBの試練) Aは元に戻らないことをBに求める。 Bは元に戻らないことをAに求められる。 Aはどう思うか。Bに従って欲しい。 Bはどう思うか。①元に戻る方法が奇跡的に何かあるに違いないと受けとめる。②申し出を拒否する。 3.アブラハムの場合、神の約束が成就するためには ①イサクがほふられて、代わりの子が与えられる ②イサクがほふられても,彼は生き返る ③イサクがそのまま生かされ代わりのものがほふられる 4.上の三つならば、イサクを献げられる。アブラハムは①から③のうち、どれを主が採用されるか、信仰をもって待った。 そうだとするとこのように言える。創世記はアブラハムが主から試練を受けたように書かれるが、アブラハムが純粋に主に従った場合、逆にアブラハムのほうが①②③のうち、どれを主が採用されるか、アブラハムに余裕があることになる。ヘブルの著者はアブラハムが②を考えたと
「天の故郷に憧れる」
2026年7月5日礼拝メッセージ ヘブル人への手紙 11:13-16 山本 進 牧師 11:13 これらの人たちはみな、信仰の人として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるか遠くにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり、寄留者であることを告白していました。11:14 そのように言っている人たちは、自分の故郷を求めていることを明らかにしています。11:15 もし彼らが思っていたのが、出て来た故郷だったなら、帰る機会はあったでしょう。 11:16 しかし実際には、彼らが憧れていたのは、もっと良い故郷、すなわち天の故郷でした。ですから神は、彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。神が彼らのために都を用意されたのです。 適用 1.私たちも信仰による約束のものを見、みことばを「喜び迎え」て行きましょう。そして、旅人・寄留者。この地上の生涯は仮の姿で、本当の人生は天の御国でと受けとめていくのです。 2.私たちも信仰生活を重ねて行くと、地上で大切に思っていたことが少しずつ手放すことも可能になっていきます。「天に宝を蓄えなさい
「『男性も女性も』同労者」
2026年6月28日礼拝メッセージ ピリピ人への手紙 4:1-14 辻村 潤治 牧師 私たちが一致するには、人のことばも、行動も、主のことばを通して聞き見ることです。狭い人間の心の中の考えに従って理解すると、人は些細な事で一致できなくなるのです。 自分の意見・主張は大切です。しかしそれを言う前に、イエス様や教えられた弟子たちへの、言葉の聖書をよく読んでから、もう一度考えてください。自分の自我やプライド・面子で些細な事にこだわっているのではないか。下手をすると貴方の、その考え方は誤っているかもしれないのです。 【本日の聖句】『最後に、兄弟たち。すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて評判の良いことに、また、何か徳とされることや称賛に値することがあれば、そのようなことに心を留めなさい。』 (聖書 新改訳2017 ピリピ人への手紙 4:8)
「信仰によって歩むとは」
2026年6月14日礼拝メッセージ ヘブル人への手紙 11:8-10 山本 進 牧師 アブラハムの物語から学びます。 v8「相続財産」については霊的、信仰的には神からの相続財産です。神から受け継ぐとは、土地の場合、神の所有ですが、実際それがどこの地であるかわからず、人間的には、その土地の所有者がいるわけです。従う信仰の持ち主は知らないで出て行くのですが、落ち着いたところで遡ってここが召しの行き先であるか考えるのは堅実な歩みです。 v9親子の繋がりには信仰継承があり、「神からの同じ約束をともに受け継ぐ」のです。長い年月を伴う場合には受け継ぐ人が必要です。この受け継ぐことも信仰によって歩むことです。同じ約束の継承者にイサク、ヤコブが選ばれました。 v10、「神の約束の上に建てられた都」から、霊的信仰的な生き方は、天におられる神に基礎を置いた地上の生き方と言えます。アブラハムはこの生き方を選択したのでした。 適用 1.現実の私たちの生活、生き方を霊的・信仰的な表現で表わしてみましょう。 2.霊的、信仰的な表現ができると、目に見えるも
「救いの必要を感じる」
2026年6月7日礼拝メッセージ ヘブル人への手紙 11:6-7 山本 進 牧師 ノア(慰めの意味)、主の心にかなっていた、正しい人、全き人、神とともに歩んだ(エノク)、神が命じられたとおりにした。(創世記5:29,6:8,9,22) 1.まだ見ていない事柄について神から警告を受けた (1)「神はノアに仰せられた。「すべての肉なるものの終わりが、わたしの前に来ようとしている。地は、彼らのゆえに、暴虐で満ちているからだ。見よ、わたしは彼らを地とともに滅ぼし去る。」」(創世記6:13) 「主は、地上に人の悪が増大し、その心に図ることがみな、いつも悪に傾くのをご覧になった。」(同6:5)ノアは人の悪の小さな傾きに目を留め、その結果、大きな暴虐を予想し、救いが必要と感じたのではないでしょうか。 (2)「あなたは自分のために、ゴフェルの木で箱舟を造りなさい。箱舟に部屋を作り、内と外にタールを塗りなさい。」(同6:14)「ノアは、すべて神が命じられたとおりにし、そのように行った。」(同6:22)ノアには神に喜ばれるということ、神に近づく者は、神がおら
「さらなる高みへ」
2026年5月31日礼拝メッセージ ピリピ人への手紙 3:1-21 辻村 潤治 牧師 貴方は何を喜ぶか。貴方の神、主に出会えたことを喜ぶのが第一ですとパウロは言います。そのほかのものは、添って与えられるのです。 そしてパウロも内村鑑三も、後のものを忘れ、前に向かって信仰の高みに進みました。それで私たちも、後のものを忘れ、前に向かって信仰の高みに進もうではありませんか。 兄弟・姉妹たち、パウロはキリスト・イエスを捕らえた、理解したなどとは考えていません。私たちの素晴らしい先輩たちは、目に見えないすごく多くの、努力をしているのです。 良き先輩に倣って信仰の高みへと登ってゆきましょう。 (文責 山本進) 【本日の聖句】『私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして追求しているのです。そして、それを得るようにと、キリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。』 (聖書 新改訳2017 ピリピ人への手紙 3:12)
「弟子の信仰が元気になった」
2026年5月24日礼拝メッセージ 使徒の働き 3:13-19 山本 進 牧師 ペンテコステ。 二つの聖霊降臨。一つは、弟子たちが外国語で話したこと。もう一つは、聖霊の導きと思えるペテロの説教です。 ペテロは、聖霊降臨がヨエルの預言の成就であると言います(使徒2:27)。また(同v21)「しかし、主の御名を呼び求めるものはみな救われる」に目が留まります。 ペテロは、イエスの死とよみがえりについて 「あなたがたはイエスを殺した。しかし、神がイエスをよみがえらせた。」(v23、24)、「・・・私たちはみな、そのことの証人です。」(v32)と語ります。その説教は、見たこと聞いたこと、起こったことの証しでした。私たちはよみがえりのイエスにお会いしましたとありのままを語るのです。 v35「ですから、神の右に上げられたイエスが、約束された聖霊を御父から受けて、今あなたがたが目にし、耳にしている聖霊を注いでくださったのです。」と、聴衆も証人ですと語ります。 そして救い主イエスを殺すことに賛成した人々でも悔い改めれば救われるという救いをペテロは確信し
「受け継ぐべき信仰(エノク)」
2026年5月17日礼拝メッセージ ヘブル人への手紙 11:5-6 山本 進 牧師 序)称賛される信仰v1(保証と確信),v3(この世界は神のことばで造られた。見えるものは見えないものから作られた)v6。 著者の言いたいこと v6信仰の基本は、神に喜ばれることです。神に喜ばれるには神を信じる信仰によるのです。(10:38) その信仰の要件は、神を信じる者、すなわち神に近づく者は、神がおられることを信じます。神は信じられることを、お喜びになられます。 そして、神は御自身を求める者には報いてくださると信じることです。個人的な報いがあることで、個人的に神がおられるという確信が持てるのです。 エノクの信仰は神とともに歩む信仰でした。 v5 信仰によって、エノクは死を見ることがないように移されました。神が彼を移されたので、いなくなりました(創世記5:24)。彼が神に喜ばれていたことは、移される前から証しされていたのです。 適用 1.信仰がなければ、神に喜ばれることはできません(v6)。 私たちは、信仰によって、神を喜びましょう(v5)。...
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