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「十字架のイエス」
2026年3月29日礼拝メッセージ ヨハネの福音書 19 :17-42 山本 進 牧師 今日の聖書の箇所で奇妙なこと なぜ、イエスは、母マリアの老後の生活を家族(4人の兄弟、二人の妹の誰か)に頼まないで、ヨハネと思われる弟子に委ねたのか? イエスは、当時、まだイエスを信じることができなかった兄弟姉妹よりも、信仰の弟子、ヨハネに母のお世話を頼んだのではないか。このことによって、イエスは、教会には、家族を飛び越えた受けとめ方があることを私たちに伝えたと思われる。 キリスト教の信じ方(イエスの発言を土台に) v35 これ(イエス・キリストの十字架刑)を目撃した者が証ししている。それは、あなたがたも信じるようになるためである。その証しは真実であり、その人は自分が真実を話していることを知っている。(ヨハネ19:35) 1.神のことば・みわざを直接的・間接的に体験する(私たちの身近な体験も含めて)。 2.1.の体験者のことばを真として信じ受けとめる(聖書のことばを信じる) 例 キリストの聖別、弟子たちの聖別に関
「聖なる日を大切に」
2026年3月22日礼拝メッセージ 創世記 1 :26-2:3 辻村 潤治 牧師 神はこの礼拝(創世記2:3)を聖と俗に別つ時と教えておられるのではないでしょうか。全てのものを分けて創造されたように、聖と俗に分けるということで、最後の一日を聖とし、神と共に礼拝を行い、世俗の働きを止めることを、神は喜ばれるのではないかと思うのです。 このような礼拝を思うとき、現在の私たちの礼拝のあり方に三つの方向性があります。従来のような集まっての礼拝、インターネットを含む新しい技術を使った礼拝(礼拝者の場所を問わない礼拝)、そして二つの方法を使い分け、融合させてゆく礼拝。私たちはいずれかを選ぶような時が来るのではないでしょうか。良い所を伸ばし、不足な所を新しく補いつつ、一人一人が生かされ、大切にされた教会に築き上げられる時が来るのではないでしょうか。(文責 山本進) 【本日の聖句】『 神は第七日に、なさっていたわざを完成し、第七日に、なさっていたすべてのわざをやめられた。神は第七日を祝福し、この日を聖なるものとされた。その日に神が、なさっていたすべての創造
「神は罪や不法を思い起こさない」
2026年3月15日礼拝メッセージ ヘブル人への手紙 10 :11-18 山本 進 牧師 1.v11 古い契約の欠陥は人を完全にできないこと、罪を取り除くことが出来ないことです。では人はどのようにして救われるのでしょうか。二つのことが必要です。人の罪を取り除くことと、裁き主が罪と不法を思い起こさないことです。 2.罪を取り除く v12(成すこと)天上の大祭司キリストは罪のために御自身の地上のからだを人類すべての人の罪のためにいけにえとして十字架で献げられました。そして、よみがえられて、天に昇り、永遠に神の右の座に就かれました。v13(委ねること)その後は、神が人を誘惑して罪を犯させる敵を捕らえてご自分の足の下に置き、永遠のさばきをする日を待っておられるのです。すなわち、主にお委ねし、そのみわざが完結するのを待つのでした。なぜならv14キリストは、聖なるものとされる人々(ご自分を信じて救われる人々)の救いを永遠に完結されたからです。 3.罪と不法を思い起こさない v15著者はみことばを聖霊の証しと受け取ります。v16 新しい契約・イエスの十字架は
「聖なるものとされる」
2026年3月8日礼拝メッセージ ヘブル人への手紙 10 :1-10 山本 進 牧師 1.v1完璧を求めた著者 実用主義であれば神に近づく人々をまあまあにできる。それでよいかも知れませんが、著者は完璧を求めています。 2.v2~4影が完全ではない証 モーセの時代から続いている律法によるきよめは不完全であった。一度できよめられれば、もはや罪を意識することがないはず。でもそうでなかった。影では罪を取り除くことができないのでした。 3.v5~10新しい契約、キリストの方法 (1)神の備えと心情 v5「わたしに、からだを備えてくださる」著者は9:23「それ以上にすぐれたいけにえ」のことを語っています。雄牛や雄やぎに変わってキリストがいけにえになる。そのためのからだ。それは死なれて血を流すためのからだでした。 v6神はいけにえを喜んでいなかった 地上のきよめのささげ物は不完全のため、喜ばれていなかった。 (2)v7~9キリストの申し出 神が求めた完全ないけにえ。そのいけにえになる方の申し出がある。「今わたしはここに来ております。神よ。あなたのみここ
「キリストは救いのために来られる」
2026年3月1日礼拝メッセージ ヘブル人への手紙 9 :15-28 山本 進 牧師 初めの契約、旧約「律法を行うことで救われる」という救いが成し遂げられず、その違反によって罪に定められるところから、イエス・キリストは、ご自分がいけにえとなり人々を贖い出す(犠牲を払って救い出す)ための死を実現されました(v15)。 血を流すことがなければ罪の赦しはありません(v22)。また新しい契約は遺言の形を取った契約でした。(v16、17)死があって初めて有効となる形です。そして、その契約は神と人との直接の契約ではなくて、二つの契約、神と仲介者キリスト・イエスとの契約、そして仲介者イエス・キリストと人との契約が合わさった契約、すなわち神と仲介者と人との契約の形を取りました(v15)。 こうして、これらを満足する仲介者・神の子キリストの死で人々を罪に定められたところから贖い出す救いが実現したのです。 キリストが再臨なさるとき、ご自分を待ち望んでいる人々を救うために来られます。「イエス・キリストを待ち望む信仰」が私たちの信仰の中にあるべきです。このこと
「新しい聖所と大祭司」
2026年2月22日礼拝メッセージ ヘブル人への手紙 9 :1-14 山本 進 牧師 1.二つの聖所があ意味 ①一つの聖所では完結しないことを暗示している。それで聖所と至聖所がある。②天上の誠の聖所の影である地上の聖所では完結しないことを暗示している。③-1 天上のまことの聖所を明らかにし、③-2 そこに至る道を明らかにすることが求められる。 v8.12の明らかな矛盾した記述をきっかけに考える。 聖書の表現 「第一の幕屋」 「聖所」 地上では 聖所v2 至聖所v3 天上では 地上の聖所 天上のまことの聖所 2.まことの聖所の果たす目的 ③-1 礼拝をする人の良心を完全にすること。それは地上においては難しいが、信仰によってそれを求め、天においてそれは完成します。 3.イエス・キリストによる実現 ③-2 イエス・キリストは天上の大祭司であられ、地上においては、ご自身の血で、ただ一度で、すべての人の永遠の贖い(ご自身のもとへの買い戻し)を成し遂げられました。そっれで、受け入れられたすべての人々は完全な良心を取り戻すのです。すなわ
「神が創造され、人が見た歴史」
2026年2月15日礼拝メッセージ 創世記 1 :9-31 辻村 潤治 牧師 1:27 神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを創造された。1:28 神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。増えよ。地に満ちよ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地の上を這うすべての生き物を支配せよ。」(創世記1:27,28) 聖書は皆さんの知識を増すための本ではありません。人はいかに生きるのか、それを伝え、教えるために神が聖霊を通して人に命じて書かせた本です。 人は、全てを創造された偉大な神が別々に男と女に創造してくださった生き物です。そして善悪の知識を知り、神の息によって生き、この地上でただ一種類、神の代理人として生きる権利を与えられた存在なのです。善悪の知識の身を食べないようにと警告を与えられ、自由意志にまかされたのに、人間は罪も知っていまいました。その基の罪は、キリスト教では原罪と言われます。 そして神はその罪も全て赦す方法を与えて下さったのです。それは新約聖書において、罪なき神の子イエス様の贖いの十字
「新しい良い知らせ、福音」
2026年2月8日礼拝メッセージ ヘブル人への手紙 8 :7-13 山本 進 牧師 新しい契約として、人々の罪からの救いに関しては、イエス・キリストの十字架の贖いによって数われることが成し遂げられたこと。 この箇所で確認されることは、旧約からの神の御心、「わたしがあなたがたの神となり、あなたがたはわたしの民となる」という関係です。それは出エジプト(6:7)の過去から中間のエゼキエルの時(11:20、36:28)、そして黙示録の新天新地の時(21:3)まで一貫して変わらないことです。 さらに、契約の形態と変化があり、新しい契約は、思いの中に置き、心に書き記されるものだというのです。エゼキエルは、これを「新しい霊を与える」と言います。硬直した頑固な石の心から、柔らかな肉の心、柔軟な心が与えられ、この新しい契約を受け入れることができるのです。そのとき新しい霊が与えられたと表現されます。新しい霊とは聖霊を感じさせます。「わたしは彼らに一つの心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を与える。わたしは彼らのからだから石の心を取り除き、彼らに肉の心を与える
「大祭司が救う」
2026年2月1日礼拝メッセージ ヘブル人への手紙 8 :1-6 山本 進 牧師 8:5「この祭司たちは、天にあるものの写しと影に仕えています。」ここで著者は旧約時代をはっきりさせます。神は天にあるものをそのままでは地上で実現できないので、地上で実現可能にする有様をモーセに伝え、モーセはそれに忠実に従い、幕屋・聖所を造ったのです。 私たちは新約聖書に書かれてなくて旧約聖書だけに書かれてあるものは、それを尊重してモーセのように忠実に神のことばと受け取ります。しかし新約聖書で明らかにされたものは新約聖書を優先させ、それを神の教えとするのです。 そして、現代の私たちが聖書に書かれていない事柄に接したときは、聖書に基づいて考えて、この考え、方法が聖書的であろうとしていくのがよいかと思います。 8:6「しかし今、この大祭司は、よりすぐれた契約の仲介者であるだけに、その分、はるかにすぐれた奉仕を得ておられます。」その救いの契約は、よりすぐれた約束に基づいて制定されたものです。この箇所で分かることは、救いは神が私たちを救ってくださるという契約です。そ
「人々を完全に救う」
2026年1月25日礼拝メッセージ ヘブル人への手紙 7 :20-28 山本 進 牧師 序 ヘブル人への手紙は、キリスト教が今までのユダヤ教の一派と見られていたところから、完全に新しい教えとして歩み出すことを宣言している書に思えます。それを祭司、大祭司の視点で書かれています。 とこしえの祭司メルキゼデクから大祭司イエス・キリストへ祭司職が変わります。祭司職が変われば律法が変わるといいます。肉についての戒めである律法を廃して、もっと優れた希望が導き入れられました(ヘブル7:12~19)。 それは「基督贖罪救出信仰義認」略して「贖罪信仰」です。 1.イエス・キリストは約束(契約)によってとこしえの祭司と任命され、その保証として、神の近いがなされました。 2.同時に地上の祭司職も兼務され、神に近づく人々のとりなしをしておられます。とりなしの資格として、敬虔で、悪も汚れもなく、罪人から話され(ユダヤ人への配慮:イエス様は罪人を救うために交わるお方です)、最も高い天におられるお方です。 未信者には求道心を与え、求道者にはイエス様が救い主であることを
「創造の神とイエスと聖霊」
2026年1月18日礼拝メッセージ 創世記 1 :1-8 辻村 潤治 牧師 私たちは、神がこの全ての天体や存在するものを創造されたと信じています。創世記によれば、全ての原子・中性子・中間子・分子をはじめに創造されたのは神です。そして、そのはじめに創造されたものは光で、それを神は良いものと見られたのです。そして、それはヨハネの見方によれば、知恵であり・イエス様がその中心にある、と私には考えられます。そして神とイエス様によって、後の形あるものたちが創造されてきた、と使徒たちやヨハネは考えたのでしょう。 その一番はじめに創造された光が、良いものであったと神様は評価しています。だからイエス様も、知恵も(おそらく聖霊も)良いものと考えられるのです。地上に生きる植物や動物全てのものに大切な、光を、水を創造してくださった方なのです。その神のはじめに造られたイエス様が、私の罪の為に十字架に掛かってくださった。これ以上の贖いはあるでしょうか。 私たちはこの基礎をしっかり理解し、確信し、信じていないと、フラフラと人間の造ったものや、人の使うお金や、財産に気を
「新しい人を着る(交わり)」
2026年1月11日礼拝メッセージ コロサイ人への手紙 3 :13-17 山本 進 牧師 教会に必要な個人の信仰確立と信者の人間関係 3章1~12節は新しい人を身につけることによる個人の信仰確立、13~17節は教会における信者同士の交わりへの指導が書かれている。交わりについては、教会は地上では発展途上で、御国での交わりを目指すと受けとめるのがよい。 13節 互いに忍耐し合い、赦し合う。人に不満を覚えてもです。私たちが救われ神の子とされたのは、主が私たちに忍耐し赦してくださったからです。 14節 交わりの土台は愛。12節の慈愛の愛です。愛は人間関係で人を結ぶ結びの帯としては完全です。逆に愛がなければ、信者といえどもその人間関係が破綻し易いです。愛には偽りがなく、愛は悪を行いません。交わりの基礎です。 15節 キリストの平和を身に着ける。人間関係の基本は平和です。平和を保つことは大変ですが、キリストの誕生のとき語られたことばは「いと高き所で、栄光が神にあるように。地の上で、平和がみこころにかなう人々にあるように。(ルカ2:14)」です。平
「奥義・・・新しい人を着る」
2026年1月4日礼拝メッセージ コロサイ人への手紙 3 :9-12 山本 進 牧師 新しい人を着ることを理解します。パウロは古い人をその行いと共に脱ぎ捨てる(9節)と言い、私たちの本体があって、そこに心・思いと態度・行動を身につけることを教えます。私たちの本体とは、目に見えない霊であることを私は考えます。霊がこの世に存在するには姿・かたちを持たなければなりません。そして信者としてそこに何を着るかです。 パウロは上にあるものを求めなさい(1節)と言いますから、神由来のものを着ることです。それは、私たちがどのような人でも差別なく与えられるものです(11節)。 具体的には、まずキリストによる新しい選民であることです(12節)。キリストにあって、その救いに与ることに選ばれた者。キリストの血によって聖められ、神に聖とされた者。キリストにあって神の子とされ神に愛されている者。 そのような者として、神のかたちにふさわしい心・思い(内面)と態度・行動(外見)をパウロは伝える。「深い慈愛の心」。その態度・行動として、慈しむ。かわいがり、大切にする。愛す
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