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「重なる試練」

  • 2025年3月26日
  • 読了時間: 2分

2025年3月23日礼拝メッセージ

ヨブ記 2:1-13

 辻村 潤治 牧師


 ヨブの妻について考えてみたいと思いまあす。彼の隣には妻がいないと私は言いましたが、そのような記述はありません。最後の42章では、三人の友人は神様によって怒られています。「あなたがたはわたしについて、確かなことを話さなかった。」と。そしてヨブは友人のために祈り、主はヨブを元通りにします。財産は増して、息子・娘も同じ人数が回復されます。複数妻帯を許される時代ですから。そこに元の妻がいたのか、どうかも書かれてはいません。

 聖書を勝手に書き換えることは、大きな過ちを引き起こします。しかし、そのように、記されていないことを、どのように想像するかは自由だと思います。皆さんも、間違わない範囲で想像してみてください。ヨブはイエス様に似ています。彼の妻も、実際苦しんでいる中で、妻を諭すヨブのことばに、悔い改めたのではないかと、私は想像したいのです。もし私たちがこのような状況の中で、信仰から外れようとした妻を諭すことが出来たならば、真の信仰者と言われるのではないでしょうか。


【本日の聖句】

『しかし、彼は妻に言った。「あなたは、どこかの愚かな女が言うようなことを言っている。私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいも受けるべきではないか。」ヨブはこのすべのことにおいても、唇によって罪に陥ることはなかった。』

(聖書 新改訳2017 ヨブ記 2:10

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