2024年5月26日礼拝メッセージ
マタイの福音書 5:1-7
辻村 潤治 牧師
私たちが罪から救われるのは、イエス様の恵みなのです。十字架の上で流してくださった、神の子イエスの血と、裂かれた肉の命の犠牲によるのです。
私たちは自分の努力や、知恵によって「義」に達することはできません。ただ主の恵みによるのですが、日々できることを行い、志を与えられ、ことを行わせてくださる主を信じて、この世を生きて行くことなのです。
「あわれみ深い」とは、生まれつき、事を荒立てないただ優しい気性の人ではなく、聖霊によって「哀れみの心」に変化させられた、その人の気性です。なぜなら、神は「あわれみ深い」、しかし神は「義」でもあり、神は「きよく」、「正しい」。真理と律法をいいかげんにして、本当のあわれみとは言えないのです。「あわれみ」とは、行動を伴った同情です。
すなわち、恵みを与えるのも主、志を与えられるのも主、「あわれみ」を行わせてくださるのも主なのです。結果、主を愛し、主に愛されて、主に似る者とされてゆくこの姿が、私たちキリスト者の完成形ではないでしょうか。
【本日の聖句】
「義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです。」
(聖書 新改訳2017 マタイの福音書 5:6、7)
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