2023年7月16日礼拝メッセージ
使徒の働き 17:1-15 山本 進 牧師
テサロニケとベレアでの宣教は同じようなもので、伝道し、信じる人が与えられ、迫害を受けるという繰り返しだった。違いは聞く人々の性質性格であった。
パウロは旧約聖書から「キリストは苦しみを受け、よみがえらなければならなかっら。私が宣べ伝えているイエスこそキリストです。」と語った。使徒たちは聖書を預言的に読み、その成就に光をあて、宣べ伝えた。この方法は客観的で2000年も続いており、教会はその方法をとっている。
パウロの話を聞いて納得して信じる人(テサロニケ)、素直で熱心にパウロの言うとおり自らも聖書を調べ確認して信じる人がいた(ベレア)。今は信徒一人ひとり個人的にも確認できる。素直で熱心であればできる。
テサロニケのユダヤ人はねたみにかられた。ユダヤ人会堂で語ることを許可したが、そのことでキリスト教を信じる人のほうが多くなった。ひさしを貸して母屋を取られた。ある意味当然と思うが、取った行動は迫害だった。
素直な心は真理を求めさせる。一方、自分中心の心はねたみに走る。心のあり方がその人の行動を決める。
当時の婦人たちは活動的で有力であった。女性の地位が高い?十分用いられていた様子が感じられる。
【本日の聖句】 『この町のユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも素直で、非常に熱心にみことばを受け入れ、はたしてそのとおりかどうか、毎日聖書を調べた。それで彼らのうちの多くの人たちが信じた。また、ギリシアの貴婦人たち、そして男たちも少なからず信じた。』 (聖書 新改訳2017 使徒の働き 17:11-12)
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