2022年8月14日礼拝メッセージ イザヤ書 45:1-8 山本 進 牧師 1.平和について、教会が絶対平和の立場に立ちたいのは山々だが、これは罪ある人には難しいことと思われる。絶対平和は個人として立つことができても、集団や国家レベルでは皆の意見が一致しないと思う。そこには、極端な自国の平和もある。自国を守るということで脅威でもない他国を攻めることをする自分の平和、自国の平和があり、そこでは、絶対平和をともに目指すことが難しい。
2.絶対平和は神が導くしかない。神の専権事項である。イザヤ45:7によれば、平和は神が造られる。神が主導する。このとき主は、上から義を降らせ神と人が協同で正義を芽生えさせ、平和を実現しようとするように勧められている。
3.この箇所で分かりにくいことだが、ペルシャの王キュロスのように、異邦人、異教徒の人でも主は用いなさることである。そういう場面があることを受け入れたい。
4.私たちはキリストを信じているので、ならず者もいるという現実を受けとめながらも、主に委ねて義を行っていこう。その先に神の絶対平和がある。
【本日の聖句】
「天よ、上から滴らせよ。雲よ、義を降らせよ。地よ、開け。天地が救いを実らせるように。正義をともに芽生えさせよ。わたしは主。わたしがこれを創造した。」
(聖書 新改訳2017 イザヤ書 45:8)
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