Bible Story
2025年1月5日
・・・ ヨハネの福音書 9章
暗唱聖句 ヨハネの福音書 9:2
『彼は「主よ、信じます」と言って、イエスを礼拝した。』
イエスは旅の途中、一人の目の見えない人をご覧になりました。弟子たちはイエスに、彼が見えない理由を尋ねました。当時、それは誰かの罪が原因だと考えられていたからです。しかしイエスの答えは予想とは全く違い、「神のわざが現れるため」でした。
神のみわざは、イエスが地面に唾をして、泥を作り、その人の目に塗ることから始まりました。「シロアムの行けに行って洗いなさい」とイエスは命じられ、その人は訳は分からなかったでしょうが、イエスのことばに従ってシロアムの池で目を洗うと見えるようになりました。物乞いをしていた場所から家に帰った彼に、近所の人たちは騒ぎ始め、なぜ見えるようになったのか彼から聞き出しました。
パリサイ人たちは、近所の人たちに連れられてきたその人の証言を聞き、混乱しました。聞き取りのために両親を呼び出しても「本人に聞いてほしい」と言って関わろうとしません。イエスをキリストだと告白すれば会堂から追放されるので、関わりを避けたのです。
再びパリサイ人たちはその人を呼んで聞き取りをしますが、イエスを罪人だとみなしてみわざを認めようとしませんでした。一方で目が見えるようになった人も証言を曲げません。イエスが自分の目を癒やしてくださったこと、神を敬い、みこころを行い、神から出ておられるお方であることを、はっきりと伝えました。
すると、パリサイ人たちは彼もまた罪人と見なし、外に追い出しました。
イエスはこれを知ると彼のもとに行き、向き合っておっしゃいました。「あなたは人の子を信じますか」。彼は「信じることができるように教えてください。その人はどなたですか」と問いました。「あなたと話しているのが、その人です」とのイエスのことばに、彼は、「主よ信じます」と言ってイエスを礼拝しました。彼は肉体の目だけではなく心の目も開かれて、目の前のイエスを救い主と信じ、救われました。
一方のパリサイ人たちは、律法を守ることにがんじがらめになり、救い主であられるイエスを罪人と見なすほど、その心の目が塞がっていたのです。
私たちも、イエスによって見つけ出され、ただ主を救い主と信じたことで、「見えない者が見えるように」され、イエスを主として礼拝する者とされました。イエスは、私たちを、目が開かれたこの人のように、いつも、自分に起こったことを思い起こし、そのたびに素直に主を主として礼拝し、喜んで従い歩む者としてくださいます。


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