2024年3月24日礼拝メッセージ
ヨハネの福音書 19:1-30
山本 進 牧師
イエスの犠牲は、一つの犠牲がすべての人に有効である信仰による犠牲である。
また、イエスの犠牲は、予定される受難、どうしてもしなけらばならない犠牲、自らのいのちとの引き換えの犠牲である。
その舞台は2000年前、エルサレム。宗教の誤り、自分の神に仕える方法が正しい、それを批判する者を排除する。この流れでイエスは犠牲となる。
「おまえは神の子か」「わたしはそれです」これが宗教裁判の判決基準。「神を冒涜した」とされ有罪、死刑とされた。ユダヤ人では死刑にできず、ローマの裁判にかけて有罪、死刑とする。総督ピラトには、イエスをユダヤ人の王とし、皇帝に逆らう者として訴えた。この不当な裁判をイエスは受け入れ、「完了した」と言って十字架上で死なれ、同時に犠牲を完了し救い主となられた。
【本日の聖句】『イエスは酸いぶどう酒を受けると、「完了した」と言われた。そして、頭を垂れて霊をお渡しになった。』
(聖書 新改訳2017 ヨハネの福音書 19:30)
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