top of page

「犠牲となられた救い主」

更新日:3月31日

2024年3月24日礼拝メッセージ

ヨハネの福音書 19:1-30

 山本 進 牧師


 イエスの犠牲は、一つの犠牲がすべての人に有効である信仰による犠牲である。

 また、イエスの犠牲は、予定される受難、どうしてもしなけらばならない犠牲、自らのいのちとの引き換えの犠牲である。


 その舞台は2000年前、エルサレム。宗教の誤り、自分の神に仕える方法が正しい、それを批判する者を排除する。この流れでイエスは犠牲となる。


 「おまえは神の子か」「わたしはそれです」これが宗教裁判の判決基準。「神を冒涜した」とされ有罪、死刑とされた。ユダヤ人では死刑にできず、ローマの裁判にかけて有罪、死刑とする。総督ピラトには、イエスをユダヤ人の王とし、皇帝に逆らう者として訴えた。この不当な裁判をイエスは受け入れ、「完了した」と言って十字架上で死なれ、同時に犠牲を完了し救い主となられた。


【本日の聖句】『イエスは酸いぶどう酒を受けると、「完了した」と言われた。そして、頭を垂れて霊をお渡しになった。』

(聖書 新改訳2017 ヨハネの福音書 19:30

最新記事

すべて表示

「神の怒りから救われよう」

2024年5月5日礼拝メッセージ ローマ人への手紙 1:16-23 山本 進 牧師 1.神の怒り v18 神の怒りの対象者は不義によって真理を拒んでいる人々。怒りの要因は神に対する、人に対する、あらゆる不敬虔と不義。神の怒りは啓示されている。申命記11:26~28祝福とのろい。 v19、20 神の、目に見えない性質は永遠の力(時と空間の無限、瞬間移動)と神性(義)。神が創造された被造物で明らか。弁

「何を悲しむのか」

2024年4月28日礼拝メッセージ マタイの福音書 5:1-5 辻村 潤治 牧師 「心の貧しい者」とは、天の御国に存在するキリスト者全員が、そのような人たちであるということです。自分の罪を知り、悔い改めて、イエス様によって罪赦されたことを信じている人々の群れなのです。 続いて、「悲しむ人」とは、そのように信じているのに、この世においては、行いで言葉で罪を犯している自分であることを悲しむ者であること

「福音を恥としません」

2024年4月21日礼拝メッセージ ローマ人への手紙 1:16-17 山本 進 牧師 恥ではない 死人がよみがえらないとは言い切れない。また、特に大切な人、今死なれては困ると いう人には、そのよみがえりを切に願います。そして、罪の贖いとなってくださった方がよみがえることで、私たちは神によって救われたと確信できるのです。神はイエスをよみがえらせた。神による救いは完全である。 「・・・福音は・・・信じ

bottom of page