「将来を思って現在を生きる」
- 7月19日
- 読了時間: 2分
2026年7月19日礼拝メッセージ
ヘブル人への手紙 11:20-22
山本 進 牧師
11:20 信仰によって、イサクはやがて起こることについて、ヤコブとエサウを祝福しました。
創世記27章。話のきっかけ。イサクは自分の死期を感じ、愛している双子の長男エサウを祝福しようとしました。それを知った妻のリベカは自分の愛するもう一人の息子ヤコブに、お父さんをだましてでも祝福を受けることを強く勧めました。目の悪いイサクはだまされ、ヤコブを祝福しました。「・・・おまえは兄弟たちの主となり、おまえの母の子がおまえを伏し拝むように。」(創世記27:29)
狩りから帰ったエサウがおいしい料理を作り、イサクのところに持って来たとき、イサクはだまされたことを知った。「お父さん、祝福はもうないのですか」しかし、のろいのことばしかなかった。
「おまえは自分の剣によって生き、自分の弟に仕えることになる。」(創世記27:40)
検討事項 そもそも、リベカ・ヤコブのだまし討ちは認められるのでしょうか。ハッキリ分かりませんが、当時認められたとしても、今日、私たちはこのような手段を採らないと思います。そのような場面、そのような流れになったとき、そうするかも知れませんが。
主の約束の継承に、このようなだまし討ちが入ってもよいのでしょうか。
適用 あり得ないみことば、実現しそうもない事柄の祈りのことばと思えても、その当事者(私たち)がしぶとく生き延びているなら、比喩的であること(ヘブル11:19)も含めて、案外、そのことばどおりの預言となるでしょう。そういうこともあるので、私たちは思いっきりのいい発言をし、祈りを捧げましょう。
現代の倫理の中、将来を想定して現在を生きることで、その目的・目標に近づき、達成します。信仰の場合、みことばによって将来を受けとめ、それに向かって生きることで、その内容に導かれていくか、その祝福が与えられます。それに加えて人間的な祝福も与えられます。
【本日の聖句】『信仰によって、イサクはやがて起こることについて、ヤコブとエサウを祝福しました。』
(聖書 新改訳2017 ヘブル人への手紙 11:20)


コメント