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「何を悲しむのか」

2024年4月28日礼拝メッセージ

マタイの福音書 5:1-5

 辻村 潤治 牧師


 「心の貧しい者」とは、天の御国に存在するキリスト者全員が、そのような人たちであるということです。自分の罪を知り、悔い改めて、イエス様によって罪赦されたことを信じている人々の群れなのです。


 続いて、「悲しむ人」とは、そのように信じているのに、この世においては、行いで言葉で罪を犯している自分であることを悲しむ者であることを告白する人であることです。


 「柔和」とは、私たちの性格の中に造り出される、聖霊の直接の実なのです。その結果、私たちは問題の原因である自己と断交し、命を払って買い取ってくださったイエス様が、私たちの中にしっかりと入り、全面的に所有してくださることなのです。これが「柔和な者」の真の姿なのです。


【本日の聖句】

「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。」

(聖書 新改訳2017 マタイの福音書 5:4、5

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