2022年9月18日礼拝メッセージ ヨハネの福音書 9:1-12 山本 進 牧師 通りすがり(v1)
イエスは予定にないことでも、御心に適えば神の業を行う。私たちも常日頃心にあることは、準備が整えば、すぐに実行できる。
ご覧になった(v1)
「世の光(v5)」発言と関連がある。「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます(8:12)」イエスはこの人がご自身に従う信仰があるかをご覧になった。
罪(v2)
当時は、障害を持って生まれる原因が罪であるとされていた。
目を開ける(v6-7)
①神のわざである(出エジプト4:11、詩篇146:8)
②わたしを遣わされた方のわざである(v4)イエスは希望を与えた。
人生がこの世だけだと、治らない障害を持って生まれることは辛いこと、不幸と言える。しかし、神がおられ、この世の先に天の御国があることを受け入れれば、神のわざがなされる希望が与えられる。
③神が来られるしるしである(イザヤ35:4-6)
人々の確認の記事の必要性(v8-12)
盲人の目が開けられることは神のわざであることは、人々は聞かされていた。そのため、詳細を知ろうとした。期待する人、そんなことがあるはずがないと思う人に分けられることが記された。
【本日の聖句】 「イエスは答えられた。『この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。この人に神のわざが現れるためです。』」 (聖書 新改訳2017 ヨハネの福音書 9:3)
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