2022年3月6日礼拝メッセージ
出エジプト記15:19-27
山本 進 牧師
1.イスラエルの子らは荒野で水がないことで、また飲めない水のことで、不平をモーセに言った。それを受け、モーセは主に叫んだ。主は一本の木をモーセに示し、苦い水を甘い水に変えさせた。
そして、民に代わってとりなしの祈りをするモーセの信仰を試みた。主の命令と掟をことごとく守るか。主はとりなしの祈り手の信仰を試みる。そして、もともとが不平であっても、とりなしの祈り手の信仰でその不平の内容が聞かれる、というのである。これは恵みの不思議な一つである。(イエス・キリストは見捨てられるという試みを受け、救い主としてふさわしくされ、罪の赦しを実現された。)
2. 私たちが罪を犯し、祈り手としてふさわしくないとき、ふさわしいとりなしの祈り手に代わりに祈っていただき、主の恵みをいただくことができる。リーダーにはこのような役目が与えられている。またふさわしい祈り手は自分の祈りととりなしの祈りで信仰の働きをすることできるリーダーである。
【本日の聖句】
もし、あなたの神、主の御声にあなたが確かに聞き従い、主の目にかなうことを行い、また、その命令に耳を傾け、その掟をことごとく守るなら、わたしがエジプトで下したような病気は何一つあなたの上には下さない。わたしは主、あなたを癒やす者だからである。
(聖書 新改訳2017 出エジプト記15:26)
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