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「一粒の麦のたとえからの復活の意味」

2024年3月31日礼拝メッセージ

ヨハネの福音書 12:20-26

 山本 進 牧師


 私たちへの適用

 二つの犠牲 みことばはイエスにとっては本当の死。イエスが死ぬことで罪人に救いの道が開ける。この一粒の麦のたとえを私たちに適用するなら、二つの犠牲が考えられる。


 一つは自分の都合、益を後回しにして神や他の人のためを優先すること。みことばによれば、それは決して自分に不利益とはならない。不利益が返ってくることはない。かえってより良き、または新しい道が開ける。v25

 とくに、イエスに仕えるという犠牲を払う生き方の場合は、その人はイエスのそばにいて、イエスの教えを受け入れ、それを実行することである。そのとき父なる神がその人を重んじてくださいます。v26


 もう一つは、本当の死という最期を迎えて、死後に有効になる活動を残す。死後に有効になるのは遺言である。遺言は死なないと有効にはならない。生前に死後のあり方を考え、まとめて遺言にする。その内容には自分のためではなく信仰を活かした他者のためになることを記す。


【本日の聖句】『まことに、まことに、あなたがたに言います。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。』

(聖書 新改訳2017 ヨハネの福音書 12:24

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