2022年11月20日礼拝メッセージ 使徒の働き 8:26-40 山本 進 牧師 聖霊がピリポを導いたが、その導きは、説明、理由なしの指示だけであった。ピリポはそれに従った。そうすると、何をすべきかが、その場で導かれた。
ピリポは聖霊が語らせるままに話したのだろうか。アルイハ、ピリポガイザヤ53章を理解していたので、急ではあったが高官に話すことができたのか。後者を取りたい。そして、旧約聖書の預言はイエスを現わしているいるというイエスご自身の解説によって(ルカ24:27)ピリポはイエスについて語った。
聖霊は、用意のある方を用いられると言える。すべてが、神が働く奇跡的な出来事ではなくて、私たちが偶然と思えるような場面であっても、備えができていれば、聖霊が導かれると思われる。私たちもキリストの話など、みことばを蓄えて、神の御前に備えましょう。いつ神の時が来るか分かりませんから。
今日の聖書の箇所では、弟子たちから選ばれたステパノやピリポたちは、信徒のままか、あるいは使徒たちに準じる立場を与えられたのか、ということが問題になる。今日の教会は正教師が洗礼を授け、信徒はおろか補教師もできない。しかし聖書によれば、ピリポが洗礼を授けた。
【本日の聖句】 「道を進んで行くうちに、水のある場所に来たので、宦官は言った。「見てください。水があります。私がバプテスマを受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。」そして、馬車を止めるように命じた。ピリポと宦官は二人とも水の中に降りて行き、ピリポが宦官にバプテスマを授けた。」 (聖書 新改訳2017 使徒の働き 8:36-38)
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