2022年3月20日礼拝メッセージ
伝道者の書1:12-18
辻村 潤治 牧師
人は神を知り、人より偉大な存在があることで、この世界を正しく治めることが出来るからです。これを忘れた時、人が自分の知恵や知識、狂気のような権力、愚かな戦いに巻き込まれてゆくのです。しかも人の目や耳には満足が与えられないのです。神の目には「束の間」のことだからです。主を恐れることは知識のはじめなのです。
最後に三十歳を過ぎてから、クリスチャンと成った有名なアウグスチヌスの言葉。「主よ、あなたは私たちを、ご自身にむけてお造りになりました。ですから私たちの心は、あなたのうちに憩うまで、安らぎを得ることができないのです。」
私たち人は、知恵や知識、狂気や快楽、富や権力によって自分の心を満たそうとします。「束の間は」喜ぶことも、満足も得られるでしょう。しかし人の造ったものの中に完全な満足は得られない。神が創造された人の中には神でしか満足させられない部分があるからです。アウグスチヌスは三十歳を過ぎてからこれに気が付いたのです。
【本日の聖句】
私は日の下で行われるすべてのわざを見たが、見よ、すべては空しく、風を追うようなものだ。曲げられたものを、まっすぐにはできない。欠けているものを、数えることはできない。
(聖書 新改訳2017 伝道者の書1:14、15)
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