「ステパノの殉教」
- junagrace
- 2022年10月30日
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2022年10月30日礼拝メッセージ 使徒の働き 7:44-60 山本 進 牧師 礼拝は「主の安息」と言われる(v49)。礼拝の場所が移動式の幕屋であっても、立派な神殿でも関係ない。そこで行われている礼拝が主も私たちも安らぎになることである。イスラエルはそれが分からなかった。偶像礼拝や幕屋礼拝との混在、そして神殿礼拝、それらは主の安らぎの礼拝とはならなかった。
主の安らぎの具体的なことは、みことばが聞かれ、従う姿を見ることである.v49、50のみことばはイザヤ66:1、2のみことばである。イザヤはそこで、主が目を留める者として「貧しい者、霊が砕かれた者、わたしのことばにおののく者だ」と記しています。
私たちは、この地上でどんな境遇におかれても、精神が柔らかくなり、神を畏れ、みことばに従うことが求められています。その信仰が主に従う信仰に導き、たましいが平安に導かれるのです。
【本日の聖句】 「こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで言った。『主イエスよ、私の霊をお受けください。』」 (聖書 新改訳2017 使徒の働き 7:59)
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