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「ゲッセマネの祈り」

  • 2025年4月7日
  • 読了時間: 2分

2025年4月6日礼拝メッセージ

マタイの福音書 26:31-56

 山本 進 牧師


 イエス様は本当に弟子たちの信仰が強くなることを求めていたのでしょうか。

 イエス様は聖書のことばが実現するという信仰を求めていたと思います。弟子たちはイエス様のことばのお、自分たちが離散するという内容に反応しすぎました。弟子たちは頑張る発言をしましたが,1時間も起きておれなかったのです。

 イエス様は祈りの中で自分の願いとそれ以上に御心の優先を祈りました。

 それで、信仰の強さとは何でしょうか。自分や自分のもの、自分のやり方が否定された時、なお持ちこたえる支えを持っていることです。弟子たちはイエス様を捕らえに来た者たちと闘いましたが、剣を否定された時、どう自分を守ればよいか分からず、イエス様が捕らえられた時、逃げ出すだけでした。

 ここで学ぶことは、信仰は聖書のことばが実現するのを信じること(v31,v54,v56)、御心を優先すること(v39、v42)、自分や自分のもの、自分のやり方が否定された時でも、なお持ちこたえる支えを持っていることです。それは主が守り支えてくださるという信仰ではないでしょうか(v53)。


【本日の聖句】『それからイエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈られた。「わが父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしが望むようにではなく、あなたが望まれるままに、なさってください。」

(聖書 新改訳2017 マタイの福音書 26:39

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