2023年4月2日礼拝メッセージ ヨハネの福音書 18:28-19:22 山本 進 牧師
1.イエスは不当な裁判を受けた。
当初から結論(死刑判決)ありきの裁判。裁判官ピラトは被告イエスに罪を見いだせなかった。当然、釈放だった。しかし、裁判官は、自分を王とする者を裁かないのはカエサルに背くと脅迫され、用意された結論に誘導された。
2.明らかにイエスに不当・不利な裁判
正しい者は裁かれない。それゆえに罪のないイエスは不当・不利な裁判を受け入れ、神にのろわれた者と(木にかけられた)者となり、救いの道を全うされた。
3.キリスト教の中心
イエス・キリストの御心は、人の罪からの救いである。その方法は十字架での身代わりであった。人が救われるのは信仰によることであり、イエス・キリストを救い主と信じることである。その始まりは、神に受け入れられたいという、ほのかな思いである。
4.真理とは天上の神の御心である。神の義、神の愛がそうである。私たちにとって属するとは、それらを求めていることである。
【本日の聖句】 『ピラトはイエスに言った。「真理とは何なのか。」こう言ってから、再びユダヤ人たちのところに出て行って、彼らに言った。「私はあの人に何の罪も認めない。・・・」』 (聖書 新改訳2017 ヨハネの福音書 18:38)
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