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「なぜ苦しまなければ」

  • 2025年2月21日
  • 読了時間: 1分

更新日:2025年3月24日

2025年2月16日礼拝メッセージ

ヨブ記 1:1-22

 辻村 潤治 牧師


 ヨブは自分のことを罪はない、と考えています。

三人の友人はヨブには罪があると考えています。ゆえに神の裁きが起こったのだと考えるのです。もしヨブの考えが正しいならば、神は正義を実行できていない、ということになるからです。だからヨブは正しくないと三人は考えるのです。

 著者はヨブ記の後半で、神のことばによって神は全能であり、世界で生じるすべての出来事は神の意志により、神の意志に反しては何事も起こりえない、という立場をとっています。ただし、これだけでは今苦しんでいる人へ慰めの言葉にはならないので残念ですが、信仰でヨブは苦しみを受けとめたのです。

 神は義なる方です。そして愛なる方でもあります。愛なる神は、サタンのような悪意のある中でも、すべての人が義を知り、義なる人になることを願い、私たちのためにイエス様をこの世に送られたと今私は考えています。(文責:山本)


【本日の聖句】

そして言った。「私は裸で母の胎から出て来た。また裸でかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。

(聖書 新改訳2017 ヨブ記 1:21

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