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「主の祈り」

  • junagrace
  • 6 日前
  • 読了時間: 3分

Bible Story

2025年10月5日

・・・ マタイの福音書 6:5-15

暗唱聖句 マタイの福音書 6:9

天にいます私たちの父よ。御名が聖なるものとされますように。


 イエスは祈りについて教える時に、まず祈る時の注意を示されました。一つは人の目を気にして祈ってはいけないということです。祈る自分を信仰深いと考えて、その姿を自慢するかのように祈ることを戒めています。祈りながらも。その心が神ではなく人に向かうと、神に祈る喜びは失われてしまうのです。また、ことば数が多ければ祈りはかなうと考えてはいけないと注意なさいました。このような考えは今もありますが、これでは神に心を向ける祈りではなく、たくさん祈る努力に心が向かう祈りになってしまいます。

 祈りとは、神だけに心を向け、神と過ごす時間です。そのようにして祈る時には、神が私を愛してくださっていて、私が願いを言う前からすべての必要をご存じであるという神とのつながりのゆえに安心があります。

 それからイエスは「あなたがたはこう祈りなさい」と言って、私たちが今「主の祈り」と呼んでいる祈りを教えてくださいました。まず私たちは、「天にいます私たちの父よ」と呼びかけ、神の前にひざまずく思いで出ていきます。こうして、「父」と呼べるほどに親しい関係の中で祈りが始まります。それから、愛する父なる神の御名が聖とされてほめたたえられ、御国(神の支配)が来るようにと祈ります。それは神の栄光を求める祈りです。

 最初にこのように祈ることを通して、自分の願いや考えにとらわれやすい私たちの心は、神に向かって行きます。自分自身が神の支配の中に置かれていて、その支配は最善であるという信仰へと引き戻されます。私たちはついそのことを忘れて、神を振り向かせようとするかのように、願いばかりを祈ることがあります。もちろん、悩みや助けて欲しいことは何でも祈っていいのです。しかしそのような時も、自分が神の支配の中にいることや、数々の恵みへの感謝を忘れないで祈りましょう。

 神が愛のお方で、最善をなしてくださるからこそ、私たちの願いは、自分の願いを超えて、「神のみこころが地でも行われる」ことに向かっていきます。

 後半は、私たちの必要のための祈りです。

 まず、日ごとの糧の必要を祈ります。私たちが生きるのに必要なものはすべてが神が満たしてくださっているのであり、自分の力で得たのではありません。へりくだって、生かされている恵みに感謝しましょう。次に、負い目(罪)をお赦しくださいと祈ります。私たちはどんなに正しく生きようとしても、罪を犯してしまいます。神はその罪を必ず赦してくださいますから、具体的に告白し、赦しを求めましょう。そのようにして神に罪を赦された人は、他の人の罪を赦す人になります。最後に、神から引き離そうとする罪の誘惑に負けてしまうことがないように祈ります。

 私たちは、神の愛と最善を信じること、神から罪を赦され、人の罪を赦していくことにおいて、神の助けを必要としています。主の祈りを祈りながら、助けてくださる神に信頼していきましょう。

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