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「十字架」

  • 2025年4月17日
  • 読了時間: 2分

2025年4月13日礼拝メッセージ

マタイの福音書 27:27-61

 山本 進 牧師


 この箇所には、兵士たちのからかい(v27~31)、十字架の道(v32~38)、とおりすがりの人、祭司長たち律法学者たち長老たちのののしり(v39~44)、十字架上での死(v45~50)、そのとき起こったしるし(v51~56)、イエスの埋葬(v57~61)が記されている。

 王様でないのに、王様にしてばかにする。神によって突然巻き込まれるクレネ人シモン、十字架刑の見世物でののしりはからかいと同じ。見捨てられたという思い。そこには御父と弟子たちはいなかった。でも出来事を通して御父はおられたとも言える。そして人間イエスは死なれた。

 マタイは淡々と起こったことだけを書き記した。それは二千年たった今の私たちに、当時に思いをはせることを可能にさせている。

 「見捨てられた」と思うとき、私たちはどのようになるのか。それは私たちの信仰が問われるということであろう。もし私たちが神にふさわしくなくても、再び迎え入れられることは、後の弟子たちを見て分かる。イエスは身代わりのいけにえとなられた。その届け先は御父であり、みわざは成就された。


【本日の聖句】『三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。

(聖書 新改訳2017 マタイの福音書 27:46

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