2020年4月26日礼拝メッセージ マタイ6:5-8 山本 進 牧師 よい祈りをしたい。でも、それはできない。それならば、今日のところ、悪い祈りをしないように気をつけよう。それでは、悪い祈りとはどういうものか。 善行。ユダヤ人には三つの善行があった。施し、祈り、断食である。これら善行は、善い行いだけど悪いものがある。 イエス様が嫌うのは「人に見せるための善行」であった。自分をよく見せるという下心ある善行は神の目には善行ではなく、宣伝、自己アピールに過ぎないのです。上手な祈り、下手な祈りという前に心が悪いのです。それでは、どうすればよいか。どんな祈りがよいか。 信仰者にとって一番大切なのは神を信じることです。その神が生きて働いておられる証しとして神からの報いを受けるのです。神からの報いを受けることこそ、神が生きておられ、私を助けるという確信が持てるのです。 イエス様の教えるに、人に知られないで、父なる神にだけ知られていることで良いということです。これは人に見てもらうこととは逆のことです。隠れたところにおられるあなたの父に祈りましょう。わが子の祈りに上手も下手もないのです。
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