2021年11月21日礼拝メッセージ
出エジプト記11:1-12:14
山本 進 牧師
私たちはどのような考え理由で救われるというのでしょうか。それは過越ということが土台になっています。
過越の救い 私たちが罪を犯して、神の裁きの対象になります。神は愛のお方で、人を救おうといたします。罪は罰するけども、人を生かす。それを実現する方法が代わりに死ぬという贖いです。身代わり者は犠牲になって罰せられるが、そのおかげで本来の人が罰せられなくてすむのです。
神は、傷のない一歳の子羊かやぎをとってほふり、その血を家の門柱とかもいに塗れと、人に求めます。神はさばきをくだし、長子はすべて死にます。そのとき、神の救いの宣告通りに行動した人が救われます。神が子羊の血を見て、過ぎ越して罰をくださらないのです。
これを土台に、私たちがイエス・キリストを神の子、救い主、十字架のみわざは私の身代わりの贖いと信じた人が、裁きの日にイエス・キリストの裁きを過ぎ越されるのです。神のみことばを受け入れた人を神がパスする。それは救いです。
【本日の聖句】
「その血は、あなたがたのいる家の上で、あなたがたのためにしるしとなる。わたしはその血を見て、あなたがたのところを過ぎ越す。わたしがエジプトの地を打つとき、滅ぼす者のわざわいは、あなたがたには起こらない。」
(聖書 新改訳2017 出エジプト記12:13)
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