2020年3月1日礼拝メッセージ 哀歌3:19-24 山本 進 牧師 かつて主を信じ、主に仕えていた信仰者が、主から離れ、何か罪を犯して、主の激しい怒りを買い、さんざんな人生となった。(v1~18) その辛い人生を振り返ってみても沈むだけ。落ち込むだけ。しかし、辛い人生を振り返る自分がいる。何かが感じられる。主が感じられる。そう、どうしても消えない主への信仰がある。(v19、20) 主を肯定し、主を待ち望む。初めからそこに主のあわれみがあった。守りがあった。「私たちが滅び失せなかったことは、主のあわれみによる。」そう思う。「それは朝ごとに新しい。」ついに、彼は神の偉大な真実を感じ取るようになる。(v23、24) かつては、裕福に人生を歩むことが幸せだと思っていた。しかし、今は違う。どんな人生を歩もうとも、この地上で裕福でも貧しくてもどちらでも良いと思う。そうです。主とともに、主に導かれて生きることが幸せなのです。 私たちの背後には主の真実がある。その主の真実に答える生き方こそ、将来がある人生で、心には「主こそ私の割り当てです」という告白があふれてくる。 地上での苦しみは恐れなくても良いんだ。今日の、その少し先に解決があり、平安があるから。そこに主は導いてくださる。詩人の今までの苦しみは消えた。彼は心から言う。「私は主を待ち望む」と。希望が持てるのです。
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