2020年4月5日礼拝メッセージ ヨブ19:21-29 山本 進 牧師 私たちは身に覚えのないことで打たれたとき(不幸になったとき、思うように行かなくなったとき、失敗したとき)ヨブを思い出しましょう。ヨブは、一瞬の内に家族を奪われ財産を奪われ、そして自分自身も打たれました。それでも神を信じる信仰を持ち続けました。それは、贖い主によって支えられる信仰があったからと思われます。それで最後まで打った神を悪く言うことから守られました。 私が死んでも贖い主はよみに来てくださり、私のそばに立ち、私を守り弁護してくださる。その確信ができたので、ヨブは、贖い主がよみの中からでも私が神を見ることができるようにしてくださるという思いを持つことができたのです。 実際、ヨブの発言を預言とし、ヨブが生きている間に、ヨブが神を見ることができ、それ以降、祝福された人生を歩んだのです。(42章)ヨブは神である贖い主の信仰を持っていたのです。旧約にすでに贖い主を信じる信仰がありました。 私たちも直接神でなくても、贖い主に支えられる信仰を持ちましょう。私たちの贖い主イエス・キリストは神であり、生きておられ、働いてくださるのです。
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