2021年7月18日礼拝メッセージ
創世記43:1-34
山本 進 牧師
1.v9「私自身があの子の保証人となります。」保証人は確実に契約、約束を果たすことを求められます。「私が責任を負います。」ユダは自分自身を犠牲にする保証をしました。この告白・決意こそ、神に用いられて、ユダの家系から王が出て、イエス・キリストに繋がっています。43:9は聖書の救いの方向性を決めた人間のっ側の要因です。
2.「もしも、お父さんのもとに連れ帰らず、あなたの前にあの子を立たせなかったら、私は一生あなたの前に罪ある者となります。」罪の概念・考え方が悪いことをしただけではなく、約束など本来なされるべきことが出来なかったとき、罪ある者となるという極限の考え方に広げられています。これはユダが悪いことをしなくてもベニヤミンを連れて帰れないなら、約束をした相手ヤコブの前に罪ある者となる、というのです。
イエス・キリストはすべての罪人を救う救い主でなければなりません。主は、これ以上救い主が起こらなくてもよいように、もう一段ギリギリの所まで行って、すべての罪人の身代わりに神のみまえに罪ある者になられ、犠牲となって救い主となりました。
3.ヤコブは地上のことについては覚悟を決めました。v14「・・・私も息子を失うときには失うのだ。」地上のことに固守しないことでかえって救いの道が開けます。
【本日の聖句】
私自身があの子の保証人となります。私が責任を負います。もしも、お父さんのもとに連れ帰らず、あなたの前にあの子を立たせなかったら、私は一生あなたの前に罪ある者となります。
(聖書 新改訳2017 創世記43:9)
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