2025年1月5日礼拝メッセージ
詩篇 50:1-23
山本 進 牧師
1.地上の法廷は罪を裁くためにある。神の法廷はすべての人を裁く。敬虔な人も、悪しき人も。
2.神は敬虔な人に感謝のいけにえを献げよと言う。動物のいけにえなら分かるが、感謝のいけにえとはどういうことか。
信仰は信じるもの。それゆえ、神への感謝は、神を信じ、仕え、良くされたことを感謝するという一連のことが含まれ、主は、ご自身への感謝をとても喜ばれる。感謝は無形のいけにえである。感謝できないときも、呼び求められれば、助けることを約束する。信仰が土台だから、呼び求められるまで待つ。
3.神は悪しき者を裁く。みことばを受け入れていないのに説教するなと。守っていない戒めを守れ。最大の罪は神が自分と等しい者だと思っていること。そのための最大の悲惨は自分を救う救い主がいなくなること。
しかし、神は最後の最後に救いの福音を語る。「感謝のいけにえを献げよ。」「わたしをあがめるようになる。」「神の教えにより自分の道を正しくする者には神の救いを見せる。」と。
神は約束を守る。誓いを果たす。だから、私たちはぜひ神の救いを見よう。
【本日の聖句】『感謝のいけにえを献げる者はわたしをあがめる。自分の道を正しくする人にわたしは神の救いを見せる。』
(聖書 新改訳2017 詩篇 50:23)
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