「神のあわれみ」
- junagrace
- 4 日前
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2025年12月7日礼拝メッセージ
ルカの福音書 1:5-25
山本 進 牧師
祭司ザカリヤに起こったことを考え、私たちに当てはめてみます。信仰者がみことばを受け入れられないときどうするか。
信じてくれている人に主はあわれんでくださることを受け留める。それが罰を受けたように思えても、何事もなかったかのように、現状を回復し、祝福を与えてくださると信じる。
主がそのようになさるのだから、何も心配せずになされるがままに現状を受け入れて毎日を過ごすのが良いと思う。
一方、それでも、罰と思える損や災難を逃れようとするなら、語られる事柄・出くわした状況を肯定できないながらも、否定はしないことである。
そして、それが人からの話の時、信じられない・受け入れられないと思う事柄が実現していく過程を話してもらい、自分が確認できることを知るために会話を先に進めたら良い。自分で結論を決めつけるのではなく、実現可能と思われる事柄がないか、冷静になって判断することである。しるしの一つ一つを確認できるならゴールにたどり着ける。
罰を受けても元に戻るなら、それはある意味、罰ではない、と受け留める。それは自分にとって必要なことと思うこと。その時、心は傷つかない。あるいは傷ついた心は癒やされる。何事もなかったかのように。そして、神を感じる証となればうれしい。
【本日の聖句】『見なさい。これらのことが起こる日まで、あなたは口がきけなくなり、話せなくなります。その時が来れば実現する私のことばを、あなたが信じなかったからです。』
(聖書 新改訳2017 ルカの福音書 1:20)


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