top of page

「神のあわれみ」

  • junagrace
  • 2025年12月10日
  • 読了時間: 2分

2025年12月7日礼拝メッセージ

ルカの福音書 1:5-25

 山本 進 牧師


 祭司ザカリヤに起こったことを考え、私たちに当てはめてみます。信仰者がみことばを受け入れられないときどうするか。


 信じてくれている人に主はあわれんでくださることを受け留める。それが罰を受けたように思えても、何事もなかったかのように、現状を回復し、祝福を与えてくださると信じる。

 主がそのようになさるのだから、何も心配せずになされるがままに現状を受け入れて毎日を過ごすのが良いと思う。

 一方、それでも、罰と思える損や災難を逃れようとするなら、語られる事柄・出くわした状況を肯定できないながらも、否定はしないことである。

 そして、それが人からの話の時、信じられない・受け入れられないと思う事柄が実現していく過程を話してもらい、自分が確認できることを知るために会話を先に進めたら良い。自分で結論を決めつけるのではなく、実現可能と思われる事柄がないか、冷静になって判断することである。しるしの一つ一つを確認できるならゴールにたどり着ける。

 罰を受けても元に戻るなら、それはある意味、罰ではない、と受け留める。それは自分にとって必要なことと思うこと。その時、心は傷つかない。あるいは傷ついた心は癒やされる。何事もなかったかのように。そして、神を感じる証となればうれしい。


【本日の聖句】『見なさい。これらのことが起こる日まで、あなたは口がきけなくなり、話せなくなります。その時が来れば実現する私のことばを、あなたが信じなかったからです。

(聖書 新改訳2017 ルカの福音書 1:20

最新記事

すべて表示
「ユダヤ人の王として生まれる」

2025年12月28日礼拝メッセージ マタイの福音書 2 :1-23  山本 進 牧師  キリスト教信仰は事実に依拠した信仰です。たとえば一世紀のある日、イエスは十字架刑に処せられて死んだのは事実です。私たちは事実を信じるとは言いません。ところがイエスの死は「私たちの身代わりとなる贖いの死です。」と受けとめたら、これは信仰で、信じる事柄です。    住民登録がありました。本籍地登録でヨセフとマリア

 
 
「大きな喜びの知らせ」

2025年12月21日礼拝メッセージ ルカの福音書 2 :1-21  山本 進 牧師  キリスト教信仰は事実に依拠した信仰です。たとえば一世紀のある日、イエスは十字架刑に処せられて死んだのは事実です。私たちは事実を信じるとは言いません。ところがイエスの死は「私たちの身代わりとなる贖いの死です。」と受けとめたら、これは信仰で、信じる事柄です。  住民登録がありました。本籍地登録でヨセフとマリアはベツ

 
 
「神の導き」

2025年12月14日礼拝メッセージ マタイの福音書 1 :18-25  山本 進 牧師  私たちの人生にたいへんなことが起きる。そのとき、どのように振る舞えばよいだろうか。ヨセフにならう。  まず、信仰者として振る舞うことを前提とする。すると、ヨセフは律法を守るということとマリアを守るという相反する事柄に出会った。このとき、彼なりに考えて結論を出した。それが神のご計画かどうか。ご計画でないときは

 
 

コメント


この投稿へのコメントは利用できなくなりました。詳細はサイト所有者にお問い合わせください。
bottom of page