2021年5月9日礼拝メッセージ
創世記37:1-29
山本 進 牧師
ヤコブは、自身が知らない妻ラケルの罪を指摘するように自然と導かれた。それは、神がともにおられることの個人的な体験である。私たちも知らないことで自然と導かれる体験をしたら主がおられると確信を深めましょう。
リベカのことではなくて乳母デボラの死が記述されている。これは、リベカが夫イサクを欺いてヤコブに信仰の祝福をさせたことが問われている。これは神が受け入れていないことの表れである。
神はヤコブに父祖アブラハム、父イサクに与えた約束をヤコブにも直接約束した。信仰の継承である。
ラケルは罪を告白できなかったのではないか。ヤコブは遺品整理でテラフィムを見つけ、事実を知ったのではないか。隠されていることは明らかにされる。告白の機会を逃さないのがよい。
エサウに引き続きルベンも長子の権利と信仰の祝福を逃した。私たちはイエス・キリストにより神の子の権利と信仰の祝福を逃さないようにしよう。
このようなことがあってヤコブは父イサクと再会した。イサクは長寿を全うし、エサウとヤコブに葬られた。こうして、人々が整理され、37章から新たな物語が始まる。
【本日の聖句】イサクの生涯は百八十年であった。イサクは年老いて満ち足り、息絶えて死に、自分の民に加えられた。息子のエサウとヤコブが彼を葬った。
(聖書 新改訳2017 創世記35:28、29)
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