2021年8月29日礼拝メッセージ
ヨハネ1:29-34
辻村 潤治 牧師
先月から洗礼の意味について語ってきました。
バプテスマのヨハネの洗礼のように水によるものと、イエス様が十字架に掛けられてのち、ご自身の代わりのように、約束によって、この世に送られた聖霊によるバプテスマの姿の二つが記されているのです。
この二つを私たちがどのように受け取るのが良いのか考えました。
私が思うには、私たちは水による洗礼を受けますが、それで終わりではありません。その先があるのです。長い信仰生活を通して、聖書のことばを通して、礼拝の説教のことばを通して、祈祷会の学びや、祈りを通して、主のことばと、聖書の教えと励ましによって、聖霊のバプテスマを知ってゆくことです。
洗礼を二つに分けて考えているのではありません。洗礼は一つです。
でも信仰は信仰生活が長くなるにしたがって、さらに進んでゆく事も事実なのです。
【本日の聖句】
その翌日、ヨハネは自分の方にイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の子羊。」
(聖書 新改訳2017 ヨハネの福音書1:29)
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