2021年4月4日礼拝メッセージ
Ⅰコリント15:1-19
山本 進 牧師
キリストを信じる信仰は、信仰に基づいて神から与えられる義です。その神が義を与えてくださるなら大丈夫だと思うのです。その信仰は、創世記のアブラハムが主のことばを信じ、それがアブラハムの義と認められたことにも一致することに導かれ、パウロは確信を持て、大きく、新しく造り替えられたのです。生まれ変わったのです。
神が義としてくださるのだから、私は御前に立つことができる。神の御前での存在を確信できたパウロはユダヤ教の限界を乗り越えることができ、それからはキリストの福音を宣べ伝えることができたのです。これも神の恵みでした。
私たちが信じて受け入れるキリストの福音は何でしょうか。それはキリストが私たちのために死なれたことです。赦しのルールは罪のないと認められたものが犠牲になることです。罪のない、神が送られたキリストが犠牲になること、すなわち身代わりに死ぬことでキリストは私たちの救い主となり私たちが救われるのです。犠牲になったキリストは大勢の人の前で葬られました。そのキリストが神の力で復活された、そのお姿を弟子たちが見て救いの確かさを確信しました。そのことを伝えられ、私たちも私たちの救いが確かだと信じるのです。これも私たちが信じて受け入れるキリストの福音です。
【本日の聖句】私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと、また、ケファに現れ、それから十二弟子に現れたことです。
(聖書 新改訳2017 Ⅰコリント15:3~5)
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