2020年11月8日礼拝メッセージ
創世記15:1-21
山本 進 牧師
義と認めるために、主は人の頭の良し悪し、性格の善し悪し、スタイルの良し悪し、態度・行動の善し悪しを問われていません。主は人の一切を考慮されていません。ただ一点、その人が、主を信頼し、主のことばを信じ、自分よりも優先することをその人の義と認めたのでした。ここから、義、神の与える正しさは主を信頼し、主を信じることのゆえに主を自分よりも優先し主のことばに従うことと言えます。主を優先すれば、現在間違っている私たちも一歩一歩正され義に導かれるのです。ただ主を第一とすることだけが問われています。
それゆえキリスト教の信じるとは、キリストを信頼し、キリストのみわざ、すなわち十字架の死は私たち罪の刑罰を代わりに受けてくださった救いのみわざであることを信じることです。ここからすべてが開けていきます。罪の赦しがり、罪の聖めがあり、刑罰から解放され、これから神の子として歩む生き方が与えられます。毎月のきよめ、おりに与えられる祝福があり、日々の苦難、困難は私たちを整えるわざとなります。主のことばを信じていきましょう。
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