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「二人目の友人との会話(罰と罪)」

  • 2025年5月23日
  • 読了時間: 1分

2025年5月25日礼拝メッセージ

ヨブ記 8:1-22

 辻村 潤治 牧師


 今日の個所では、まだ神様は出てきません。中年の神学者ビルダデと苦しみの中にいるヨブの会話だけです。私たちはこの中から何を聞くのでしょうか。

苦しみ悩みの中にある、神を信じて生きる人々に、私たちはどのように答え、どのように振舞えばよいのか。今その様な人が目の前にいないときに、あるいは私たちが気づいていないときに、出来るだけ考えられるだけ、考えなければいけないのではないでしょうか。

人は自分の痛み苦しみには非常に敏感です。そんな時に神の裁きや、神や人に対する誠実さを語っても受け入れられるでしょうか。私たちはまず神の愛を語るべきなのではないでしょうか。


【本日の聖句】

『神は、私のように人間ではありません。その方に、私が応じることができるでしょうか。「さあ、さばきの座に一緒に行きましょう」と。私たち二人の上に手を置く仲裁者が、私たちの間にはいません。』

(聖書 新改訳2017 ヨブ記 9:32、33

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