2020年5月3日礼拝メッセージ マタイ6:9-15 山本 進 牧師 ここまで祈りについて見てきました。大切と思って繰り返しますが、イエスさまは、祈りの内容を教える前に、まず祈りの態度を教えてくださいました。 クリスチャンがしてはいけない態度とは、人に見せるために善行(施し、祈り、断食)を行うことでした。人に見せる善行は、その瞬間善行が報いを受けて終わってしまうのです。イエス様は天の父からの報いを受けることの大切さを語ります。(1節) そのため、祈りでは、自分の部屋に入って一人で祈ることでした。人知れず、隠れたところにおられるあなたの父に祈り、父に報いてもらうことでした。(5、6節) そして、意味もなく同じ言葉を繰り返して祈ることもしないように注意されました。それは父のみこころではなく、自分たちが、勝手に祈りが聞かれると思っているところから来るものでした。(7節)祈りを聞くかどうかは神が決めることですから神に任せることです。 さらに、イエス様は、天の父はあらかじめ私たちの必要を知っておられるのだから、意味もない祈りのことばは必要ないことを教えています。(8節) それでも祈るのは、祈りが聞かれることで、一人一人が、目には見えないけれども、神がおられると確信するためでした。そして、神と私たちとの関係ができていることが優先します。神が私たちの天の父であるという関係です。私たちは祈りで神と交わるのです。
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