2025年3月30日礼拝メッセージ
マタイの福音書 26:14-30
山本 進 牧師
v14~16ユダの裏切り
ユダの三年間は何だったのだろうか。自分の価値観の実現の可能性をイエスに見ただけだったか。イエスは師でも何でもなかった。ユダは正論を言う。でもそこには、相手の人への正しい思いはなかった。
v17~19過越の食事
出エジプトの時、屠った羊の肉を食べた。その血が家の門柱とかもいに塗られているのを見て、民を殺そうとする御使いは過ぎ越していった。神の過越は救いである.それらを受け継いだ種なしパンの祭りの大きなイベントは初日の家族との過越の食事である。
v20~25イエス、裏切りの宣告をする
弟子たちはイエスのことばを心に受け、悲しんだ。ユダは心を横に置き、頭でイエスのことばを受け、自分の考えた通りにやり取りをするものの、イエスにその裏切りを告げられた。
v26~30パンと杯
初めての聖餐であろう。裂かれたパンを渡された時、ユダは出て行った(ヨハネ13:30)。その後、イエスは杯を取り、その意味を告げた。「多くの人のために、罪の赦しのために流される、わたしの契約の血」ですと。ユダはこれを聞いていないことになる。
またv29は救いの完成のまでのことだと思われる。
【本日の聖句】『人の子は、自分について書かれているとおりに去って行きます。しかし、人の子を裏切るその人はわざわいです。そういう人は、生まれて来なければよかったのです。』
(聖書 新改訳2017 マタイの福音書 26:24)
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